予測不可能だから

兵庫県の宝塚市の新興住宅地育ちの私が、
両親に誘われ「いいかも、おもしろそう」と、
深くも考えずに(今思えばですが)、
心機一転の気持ちで引っ越してきたのは
23歳になって間もない年末でした。
今でも引っ越してきたときの高揚感、忘れていません。
あれから40年、
こんな自分を想像もできませんでした。

昨日は、峰の原区民の交流会で、スキー場へ。
霧の中、スキー場に降りてくるだけで
視界が悪かったせいか、
はたまた花粉症のせいか、
気持ちが悪くなりました。

外でお餅つきをしていると思って、キョロキョロしても、
それらしき人影もなく・・・
リフト券売り場で尋ねると、
「トリノでやってますよ」とのこと。
このなんとも、味があるといえば味があるような怪しげな建物、
トリノっていうのですよ・・・
そう、スキー場のお偉いさんの一言で、
トリノオリンピックの時に「トリノ」と命名されました。
トリノの皆さん、これを見て驚かないでくださいね。

そのトリノの中で
「あら、もう終わったのよ」
「まだつぶつぶ残ってるんだけどね」
「子どもと年寄りだから、仕方ないのよね」
という、立派なもちつきが繰り広げられたようです。
このなんとも中途半端ぶりが
峰の原自慢の温かさなのです。

姉妹都市の三浦市のイベンとの時の
残りのマグロと大根で、
「三浦名物らしいよ」といういい加減な、
でもおいしい「ごん汁」
(ネットで、三浦市、ごん汁と検索しても、
三浦市ではなく峰の原しか出てきません。
果たして本当に三浦市に「ごん汁」
というものが存在するのでしょうか。あやしいいなぁ。
でも、これもまた峰の原らしくていいかも)
も振る舞われました。

そして、貴重な峰の原の幼児たち(現在6人、
そのうち女の子は1人)は、
いざ、宝探し!

近所のじいちゃん、ばあちゃんたちは、
もう子ども見るだけで顔面総崩れ。

40年前は、菅平の学校に通う子供の数が
一番多い地区だったのですけどね。
ここは、40年前も今も、日本の縮図のような場所かも。

子供の数をはるかに上回る中高年のみんなも、
もちろん宝探し!
気合のはいり方は子ども以上です。
後ろでは、ほろよいジジババが、
スタート地点でじゃれてました。
昨日集まった村人はこれでも若手です。
須坂市内の中でも高齢化率が高く、
このままだと、後10年で地域の維持が
できなくなるであろうという予測も出ました。
ふふ、予測なんて、あてにならない40年でした・・・
予測通りなんて、ああ、つまらん!