児玉家その2

なんと朝7時でも5度もあります。
暖かい日はまだしばらく続くそうです。


子どもたちと遊んで、
一人でぐるっと母屋を外から見せていただい後に、
大きな声で「cafeですかぁ」とお声がけいただいて
「はーい」と、負けずに私もお返事して、敷地内の元長屋を改装したcafeに。

見てください、この満面の笑み。
現在のご当主の奥さんに撮影していただきました。

すべて自家栽培のオーガニックのお野菜のベジランチ。
真ん中はチャーハン。
最近訪ねて来られたジョージアの方から入手したというハーブもソースに使われていたり、
インターナショナルなお味です。
作ってくださったのは、元気な女の子たちのドイツ人のお母さん。

で、私の目的達成かと思って、
「あらァ、花のニッパチ、同級生よ私達」なんて
ペチャクチャとご当主夫人とおしゃべりしていたら、
「1時間半ほどですが、ガイドツアーいかがですか」と、ご当主がお声掛けくださって、
これは断る手はないと「はい、いいんですか」となって・・・
お客は私のみのプライベートツアーで申し訳ないような、しかも無料です。

ではまず、門の外からということで。
この玄関の石段の石、継ぎ目なしですが、上田の烏帽子山から切り出されたものだそうです。
「この石はなんですか」「さぁ、わからないけど、花崗岩じゃない」
「ええっ、そうは見えないけど。火山岩に見えます」
「そうかな。なんだろうね」という感じ。
いいですねぇ、このユルユルさ加減、これでなくちゃね。
でも私は気になったので、帰ってから調べました。

そして、ご門の扉は、えーと、どこの木だったかなぁ。
もちろん地元の木で、1枚板です。欅かなぁ。
この扉の金具は「乳金具」「乳鋲」といって釘隠し。
確か、明治以降は庶民の家にも許されたそうですが、
それ以前は幕府に許された格式ある神社仏閣のみに許されたとか。
そこで、この児島家も、取り付けたと伺ったような・・・
私が備忘録のために写真を撮っていたら
「すごいねぇ、ササッと写真撮って」と驚かれちゃいました。
「後でまたおさらいするために」というと、感心されました。

さて、そろそろ中かなぁ。
2階の右半分はガラス戸になっていますが、もとは左側と同じ木戸だったとか。
2階に住むようになったときに暗いからガラスになさったと聞いたような・・・
(メモも取らずに聞いていたので記憶は怪しいです)

さて、玄関の土間へ。
この中央の方が、ここを建てたときの当主だったけか・・・
できがったときのお祝いに100人以上のからが集まった時の写真だとか。

このあたりは、むかし田んぼに水を張ってスケートしてたんですよねぇ。

資産家一覧に、もちろんお名前あります。
須坂の田中本家や小田切家や諏訪の宮坂家なども。

銀行以外に、発行させて作るのではないお醤油も作っておられたそうで、
醸造せずに早く作れるということで重宝されたとか。
うーん、なかなかの事業家だったのね。

ガラスのの外側のこの穴は何でしょう。
私は当てましたよ。
その昔、暴徒などが侵入してくるようなこともある恐れがあったとか。
なのでここに鉄の柵があったのですが、戦争中に金属回収令で供出したとか。
いつの戦争かな、日中戦争かなぁ・・・

こちらは籠を置いた場所だそうですが、本来ならばもっと幅が必要なので、
これは装飾として残っているものかなぁと・・・

そしてこの机は、明治神宮の鳥居が昔は木だったのですが、
それが石に変わったときに、その鳥居の木で作ったものだとか。
裏にシールのようなものが貼ってあって、
3百いくらと書いてあり、この値段だと思ったのですが、
ご当主は「ああ、そうかも。てっきり、何台作ったかの通し番号だと思ってた。
そうか、そかもね」って、いいのかしら、そんなガイドで・・・

まだまだ続きます。